2007年4月アーカイブ

ずっとやってなかった。本当に久しぶりだった。思えば中心的な役割を負っていたメンバーが献身して、神学校に行ってからではなかろうか。

やれば参加するのに、なかなか誰もやろうと言い出さないまま数年が経った。そして今年、ようやく再開されることになった。

ところで私は普段は毎月1回第三日曜だけワーシップリードを担当している。第一はフルート、第五はピアノ、ほかはオルガンとして奏楽チームに参加。複数のメンバーでローテーションを組んでいるが私だけ常に何かやっている。なぜか?

単に賛美が好きだから...「賛美が、すきだからー!」(チャン・ドンゴン風)


今日は準備賛美のリードに礼拝のピアノ、そして賛美集会のリハ、本番と賛美漬けの一日だった。こんな日はほんとにいろいろなことが起きる。

賛美集会の歌詞をパワーポイントで作ってあったのに、USBメモリへ入れるのを忘れていた。前の晩すごく眠くて、晩ごはん食べてすぐに寝てしまった。

そして朝、教会へ出かける前になんとか気がついて、遅刻しそうになりながらコピー。だがそれを挿したまま出掛けてしまった。

そしてリハ。どうも声が出ない。カゼひいた?よく寝たのに...そういえばPAを頼んでおいたはずの兄弟も朝から見かけないし。確かに頼んだ、と思うんだけどなあ...

そして本番。パワポはメールで送ってあった近所の兄弟が家に取りに走ってくれたのでなんとか間に合ったが、今度はドラムの子がいない。まさかリハの最後に「今日はこれでおしまい?」と聞いていたのはそういう意味だったのかー!?

他にもいろいろあったのだが、本番前の祈りが聞かれたのか、声も出るし、集まった人たちもけっこうノリノリで歌ったり手拍子たたいたり、喜んで賛美していた。全部で30人くらい?そのうち半数近くはろう者だった。

うちの教会では手話礼拝があるくらいにろう者の教会員が大勢いる。もちろん一緒になって手話で賛美するのだが、スローバラードなんかは踊っているかのように美しい。

間に牧師のショートメッセージをはさみ、後半はゆっくり目の曲でしっとりと。最後に余韻を残すかのようにして奏楽が続く中、自由な賛美へ。特にアナウンスもなく自然に聖霊待望会へと移る。

だいたい「会」と断るようなものではないんだけど。祈りのうちに聖霊に満たされ、霊歌や異言が与えられる。倒れたり病気が癒されたり、金粉が降るわけではないけど、心が喜びに満たされるっていう感じ...

最後にもう一度「生ける水の川」を歌って散会。賛美集会が1時間、聖霊待望会が1時間ぐらい。初めてペンテコステ系の教会へ来たって言う人が最後まで残っていたのにはびっくり。

集会後、奏楽チームのメンバーいわく「やっと慣れてきたわ、と思ったら次の曲で...」そーか、次はもっと繰り返しを多くしてあげよう!

つか、実はギターを弾く指先がガタガタだったんです、今回は。先々週弦が切れてたのを、この際だと全部張り替えたんだけど、思ったより硬いゲージでねー。参った。


選んだ曲は今回はヒルソングが中心だった。というか選んでみたらそうなってたわけだけど。ヒルソングは訳詞がいろいろあるので、一部はオリジナル。

・『主の臨在に感謝の心を』 中央聖書神学校(CBC)訳
・『タッチングヘブン、チェンジングアース』 CBC訳
・『主イエスで勝利』 堺キリスト教会訳
・『キリストは生きている』 ミクタム訳
・『イエスの血汐』 ミクタム訳

・『生ける水の川』 ミクタム
・『陶器師、主よ』 ミクタム訳
・『静まる時の中』 訳者不詳

やっぱり、クリスチャンとしての自分を書き表したくなった。

「賛美」とは、クリスチャンが神の偉大さをほめたたえる表現。音楽に限らず、文学でも踊りでも、その人に与えられているタラント(賜物)=才能による、つまり人それぞれに違った方法がある。

私の場合は音楽。かつてはいちおうこれでメシを食っていた(といっても教師だけど)くらいに切り離せないもの。いまでこそ音楽活動は教会でしかしていないが、最高に音楽を愛している。

また、音楽による賛美を最高に愛している。

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