2007年5月アーカイブ

以前にサイドバーに貼っていたYouListが調子悪くなった。登録してあったクリップが表示されない。せっかくなので最近見つけたものも含めて紹介しておこうと思う。

YouListは、ビデオ投稿サイトとして絶大な人気のあるYouTubeにあるビデオクリップをピックアップして紹介するサイトのひとつ。最近こういう他力本願的なサイトが増えた。便利ではあるんだが...

うまく探すとプロ顔負けのプレーヤーがいろいろな曲の演奏方法を解説しているのが見つかる。なかでも歌もギターも達者な”tealy124”ことダニエルくんのギターレッスンは参考になるのではないだろうか。彼は他にもいろいろな曲の弾き語りビデオを投稿している。

 

☆ダニエルくんのギターレッスン パート1


Worship Music - Guitar Lessons Part 1

 

☆ダニエルくんのギターレッスン パート2


Worship Music - Guitar Lessons Part 2

 

☆別の人がやっているギターレッスン、曲はマット・レッドマンのもの。好きな曲のひとつだ。


Matt Redman Song You Never Let Go

 

☆これはオルガン、かなり本格的なハモンドオルガンの奏法


Organ - I Worship You

 

これらは元々YouTubeに投稿されているビデオクリップだが、YouListはそれを扱いやすい形にまとめて提供している。直接YouTubeにリンクを設定するとこんな具合になる。

☆デビット・クラウダー・バンド 

 

本家YouTubeのほかにもYahoo! JAPAN 動画とかにもいろいろ投稿されているので、キーワードを工夫して探してみるといいだろう。ヤフージャパンだと「賛美」とかでも結構出てくる。

あれからピアノの姉妹と何度か直接あるいは間接的に話を聞く機会があった。

どうも女性と直接話をするのは苦手で、というかじっくり考えてものをしゃべるタイプなので、うちの妻のようにポンポン次から次へと言葉が出てこない。メールとか書き物だと結構饒舌に見えるらしいが、実はかなり時間をかけて書き直している。

元々は教師として、あるいはインストラクターみたいな仕事もやっていたので丸一日、8時間ぶっ通しでしゃべるなんてことはしょっちゅうだった。しかしこれはある決まった内容について説明していくだけなので、丸々自分の意見を言っているわけではない。

 

というわけでほとんどが直接話をした妻から聞いた内容だが、どうも男性と女性とではものの考え方に違いがあるので、そこが原因なのだそうだった。姉妹のダンナは私の意見に賛同しているのだが、私の妻は姉妹の意見に賛同するらしい。

男は会社などの集団の中で、いかに周囲と折り合って生きていこうかと腐心する。女性は自分の感覚を大切にし、自分を否定されることを嫌う。とか...?

 

うまく言葉に言い表せないが、 そういう違いならいくら話し合っても分かり合えるものではないのかも知れない。さらに悩みは続きそうだ。

 

野外礼拝は無事終わった。以下は見事な失敗談である。恥ずかしくて書くのをやめようかと思ったぐらいだが来年の自分への戒めとして記録しておく。

 

天候に恵まれ(?)この間までの暑い日差しをさえぎってくれるブ厚い雲。そして説教に集中しないと凍え死ぬぞと言わんばかりの冷たい風...これは冗談としても、ほんとシャレにならないくらい午前中は寒かった。 天気予報では昼から晴れるとのことだったが(確かに晴れたけど)、5月でこんなに寒いとは思わなかった。

しかし準備段階ではそんなこと気にしていられなかった。礼拝が11時。機材などは10時半には現地へお願いねと頼んであったはずだが、10時50分でまだ機材が揃っていない。マイクスタンドも1台足りないが仕方ない、手に持ってもらおう。

 

ところがそれだけでは済まなかった。 

あれ?PA担当の兄弟がいない。「あ、お休みだそうですよ」...(聞いてないよ~)
「あの~楽譜ありますか?」(ってピアノのR姉、持ってこなかったの?)
げっ、パワードモニタが片チャンネル死んでる!

などなど。

 

実はうちの教会は音響機器に詳しい人がいない。何度か教えたのだが、なかなか覚えてもらえない。仕方ないので外部から演奏家を招いてコンサートを開くときなんかは私がオペレータをやっている。セッティングは会堂ならマイクを立てるぐらいだが、野外ではミキサー置いてパワードモニタを配置して、と結構手間がかかる。

さすがに今日は司会とワーシップリードしながらPA操作はできない。オペレーションは別の週の担当者に頼んでセッティングは全部自分でやった。去年も同じような具合で準備が11時を過ぎてしまったので、今年は絶対に!と思ったのだが去年よりも遅くなってしまった。

ようやくセッティングも終わり、ここで慌ててはいけないと思いっきり短くほんの一瞬、だけど深く祈って第一声を発したのは11時15分だった。開き直ったとも思えるほどの笑顔に満ちて聖歌を歌った...神様ごめんなさい。祈りが足りませんでした。

 

今日の選曲はこの通り。

  • 聖歌593番 ああめぐみ!
  • 全地よ主に向かい
  • あなただけがわれらの神
  • こひつじイエスよ
  • 聖なる主のみ名をたたえ
  • 誰でもキリストのうちにあるなら

聖歌の後に祈り、あとは全部メドレー。メッセージの後に「主の祈り」、献金は「誰でも」をもう一度。

 

 

ところで、メッセージの最中、雲がたれこめ強い風が吹いていた。薄着で来たため寒さにふるえる人多数。
静かに目を閉じ、真剣に祈る。と、ほどなく風は止み、ちょうど公園の真上だけ雲が裂け太陽の光が差し込んできた。(本当)

「ええ?すごいやんか、ホンマに?まさかやろー」

とたんに風が吹きはじめ、太陽はまた厚い雲に覆われてしまった(本当)...ぉぃぉぃ

 

 

 

悩み多きお年頃?


またまた悩んでいる。ていうか毎月のことなんだが(笑)

私は毎月第三日曜は司会とワーシップリードの奉仕をさせていただいている。第一はドラムとフルート(曲によって使い分ける)、第二と第四はオルガン、第五のある月はピアノ。

他の奏楽者は主婦だったりOLだったり、青年部とか他の奉仕もあるので毎週は大変なのでローテーションを組んでいる。私は奏楽チームリーダーとして毎週なんらかの形でかかわるようにしている。

昔はピアノとオルガンを隔週でやってたのだが、メンバーが増し加えられたので何年か前にこうなった。ワーシップリードも以前は月に2回やってたのだが伝道師が加わったので1回になった。

回数が減ると楽ではなく、むしろ大変になったように思う。一回ごとの思い入れがより深くなった。特にワーシップリードの際の選曲はとにかく大変。

好みで選んではいけない。かといって不慣れな曲を持ってくるわけにもいかない。高齢者が多いので、ついて来れないような元気な曲ばかりも選べない。 かといって聖歌ばっかりでは若い人が満たされない。

加えてこの週だけ中高生チームが礼拝前に準備賛美を担当するようになったのでリハの時間が取りにくくなった。ますます新しい曲を取り入れることが難しくなっている。

 

どうやって選曲するか 


いつもは聖歌のほかにミクタムの赤本、青本、リビングプレイズシリーズ、シティプレイズシリーズ(まれになったが)、ビンヤード日本語ワーシップシリーズ、あと教団で作った「主をほめよ」という曲集から選んでいる。その他オリジナルの翻訳曲など。

前週のうちにメッセージ箇所が牧師から示され、そのテーマに見合った曲の進行をストーリーとして考える。基本的に最初は聖歌、祈りの後ワーシップソング数曲、メッセージのあと主の祈りの歌、献金の曲(ほとんど聖歌)、そして頌栄、と一応の順序が決まっているのでその枠組みの中でどうするか、だ。そして曲が決まったら奏楽チームメンバーにFAXで流す。

選ばれた曲は最初からワーシップソングの場合もあるし、全部聖歌だったこともある。ヒルソングもあれば昔のゴスペルフォークも入れる。毎月同じではなく、示されれば時には「何でこの曲なんだろう?」と自分でも不思議に思う曲が入ることもある。

ところが礼拝が終わってみると、全体としてジグソーパズルのピースのようにぴったりと収まっている。礼拝後に「今日の賛美とっても良かったですー」と言ってもらえると悩んでよかったと思う。もちろんそんな風に言ってもらえるのはいつもじゃないけど...

ある時は「何度も何度も繰り返すの、いつ終わるのかと思った」とか、「やっと慣れてきたと思ったらもう終わるんだもの」とか。果ては「ワーシップソングってあんなロコツに『すべて捧げる』とかよう歌わん」「『きみは愛されるために生まれた』って誰に向かってキミと言っているのか」(えらそうに、ってこと!?)...好きなことゆーててくれ!

 

悩みは尽きない


選曲にはほかの要因もある。リードの時は私はギターを持って弾きながらやるのだが、ギターコードであんまり弾きにくいキーはやっぱり避けてしまう。リードを中断していちいちカポをはめ直すわけにもいかないし。

また流れを大切にするため曲と曲はほとんどメドレーでつなぐのだが、なるべく同じキーか、半音ないし全音上下する範囲で選んでいる。どうしてもつながりが悪い場合は音をいったん切って新しい流れにするか、移調して演奏してもらうこともある。この場合移調譜を書いて事前に渡す。

ミクタムの曲あたりだと小坂忠さんなんかは男性でもキーが高いほうだと思う。翻訳曲なんかでオリジナルのキーを上げている曲もあるくらいだ。女性も一緒に歌うと高すぎる場合もあるので、半音から一音下げたほうがいい曲が多い。

意図的な選び方、というとわざとらしくてイヤなのだが、前半はアップテンポで、キーは上がっていくようにする。 後半は逆にキーを下げる方に、そしてゆったりとしたテンポの曲を選ぶ。しかし上げたり下げたりはしない。上げるんだったらそのままだし、下げるんだったら最初は同じキーが続くことがほとんど。

とまあ、一見何気なく選んでいるように思えても、いろいろな配慮があるわけで。これを頭で考えてもどうにもできないのでいつもひたすら神に祈るわけである。何日考えても決められなかったものが一瞬で全曲決まってしまう...そんな具合です。 

 

今月もこれから選曲にかかるのだが、今度の日曜は野外礼拝、つまり近所の公園(といっても仁徳天皇陵がすっぽり入る)で天幕集会。またいつもとは違った選曲になるんだろうな、たぶん。

 

※文中一部脚色してます <(_ _)>

 

ようやくテンプレートも完成に近づき、ブログらしくなった。今回はメインページのhtmlファイル、スタイルシートを、あちらこちらの資料を参考にしながらほとんど手書きで作っている。


それは置いておいて、ちょっと困ったことが起きた。教会の奏楽チームにはピアニスト4名、オルガニスト3名、月イチでドラマー2名、フルーティスト1名が在籍する。

うちピアニスト1名は育児休暇中、残りは私が兼任しているのを各1名ずつ引いたものが実際のメンバー数となる。なーんだ、大したことないじゃんと思ってほしい。

そのうちピアニスト1名が突然辞めたいと言ってきた。以前から牧師やリーダーから音が大きすぎると言われていたが、自分は音量を下げて弾くことが耐えられないのでずっと悩んでいたという。

前の教会では奏楽は心から、元気いっぱいで演奏をささげるのがよしとされていた。なのに音量を下げて周囲を気にしながらの演奏は、自分のものではない。自分の心を偽った演奏を捧げることはこれ以上したくない、というようなことだった。


私もピアノを弾くが、こんなことを考えた(言われた)ことはない。奏楽といってもピアノ1本ではないんだし、会衆賛美の間はそのための伴奏者に徹するものだと思っていた。もし奏楽チームの中でめいめいが「これが私の賛美だぁ~」とバンバン弾いたらどうなるだろう。

確かに彼女はタッチが強いというか太いというか、私がオルガン担当でペアを組む日なのだがボリュームを最大にしないとバランスが悪いくらい。うちの教会の会堂はそんなに大きくはないが、高齢者が多くお世辞にも元気な賛美とは言えないので楽器の音は抑え目にする必要がある。

たまたまその日も牧師が静かめの選曲でしっとりと歌いたかったので、ちょっと小さくしてくれと言ったのが非常に気になったらしい。

 


前の教会ではどうだったかともかく、今の教会は同じ教団ではあっても礼拝スタイルは違う。地域性の違いもあるし教会員の顔ぶれが違えば牧師の求めるところも違う。 同じ曲でもどう歌うかまったく違ったりする。(これはこれで別の機会にまとめようと思う)

しかし現在はこの教会のチームに所属して奉仕しているわけだし、少なくともそのときのリーダーである牧師なりワーシップリーダーなりの指示に従う必要があるのではないかと思う。

気持ちはわからないでもない。本当ならもっとのびのびと演奏したいと思うことはある。よそでの奉仕だったが8畳間ぐらいの部屋に生ドラム、なんてストレスたまりまくるくらいに押さえないといけなかった。でもメリハリはつける。押さえたダイナミックレンジの範囲内で、気持ちとしては最高の賛美をささげている(つもり)。

 


彼女はご主人の転勤の都合で一時的に客員として礼拝に集っており、古参の教会員というわけではない。だが辞めるなんて言わないでぜひ続けてほしい。これはどこへ行ったって必ずつきまとう問題だし、乗り越えてほしいと思う。

他教会の奏楽者の方はどう思われるだろうか...

 

ここしばらくテンプレートの変更を試している。

そこらにあるフリーのテンプレートをそのまま使えば手っ取り早いのだが、せっかくなのでMovable Typeの学習がてら弄り回している。

いい加減仕組みはわかったのだが、いまひとつブラウザが違うと見栄えが変わるようで、メインのFireFox2に合わせるかIE7に合わせるか悩みつつ試行錯誤が続いている。

ところでこのブログはどこへ向かえば良いのか?

今のところ考えているのは、自分の場合だが賛美の翻訳について、作業工程を公開しようと考えている。まだやったことのない方、これからやってみようという方の手助けになれば幸いだ。

ほかには音楽的、技術的なことについて。例えば楽譜作成ソフトを使って楽譜を作るとか。せっかくMusicTimeDeluxeとかFinale Notepad、PrintMusic、Finale、Sibeliusなんてのまであることだし。

実は日ごろから楽譜の書き方を知らない人が書いたらしい、『読みにくい楽譜』つまり『演奏しにくい楽譜』が気になっていた。美しい自然な楽譜は初見でも演奏しやすいのだが、そうでないものは頭で考えて自分に言い聞かせないとダメだったりする。

...わからない人には気にならないだろうけど、いちおう音楽の教師をやってたこともあるのですごく気になるんだよねー。小節内の音符の長さの合計が合ってりゃいいってもんじゃないんだよ。

ということでしっかりやるぞと自分に言い聞かせつつ、次回につづく。

海外曲の翻訳と著作権の遵守。これは賛美曲の場合どうしても避けられない問題だろう。しかし以下のケースをこのブログを読んでおられる諸氏はどのように受け止められるだろうか?


楽譜つき自主制作CD

ある教会のホームページからオリジナル賛美CDを3枚注文した。届いたのは自主制作風のジャケットで、ひとつは紙ジャケ、あとの2つは薄型のプラケースにライナーのみという仕様。

楽譜つきというので期待したのだが正直がっかりだった。これが単にコピーをホッチキスで止めただけのものなのだ。しかも作者不明、訳者不明、著作権の所在がはっきりしないものがほとんど。さらに、明らかに他の曲集からコピーしたとおぼしきページもあった。

完全にオリジナルの楽曲についてはもちろん問題なしだが、いくつかの曲はきき覚えがあるので海外曲だと分かる...しかし原曲の作者についても、版権を持っているはずの出版社やレーベルのコピーライト表記がまったくない。いいのか?教会なら許されるのか?まさか外人牧師なのでOKってことないと思うんだが。


私と賛美曲の翻訳

私が海外曲の翻訳を始めたのは89年ごろだろうか。現在の妻に誘われ、教会の礼拝へ出るようになって、いろいろな賛美曲があることを知った。ミクタムなどの賛美曲集を見ると、すでに何人もの方が、ほとんど牧師らしかったが、訳者として載っていた。

翻訳曲というジャンルがあるわけではないが、どれもすばらしい楽曲だった。まあたまにはいかにも訳しました、みたいなのもあったがほとんどは違和感がなかった。

そして実家の近くにある同じ教団の教会におじゃました時。こんなのがあるんだよ、とアメリカのインテグリッティーズ・ホザナの『Praise & Worship』シリーズを紹介された。大阪へ帰って、さっそく梅田のキリスト教書店へ行くと、楽譜集があったのでとりあえず全部買った。

音源全部を揃えることは難しかったが、それでもけっこう集まった。当時の主管牧師、川上先生もお好きだったそうで意外と教会にあったのだ。

そして気に入った曲に日本語で歌詞をつけていくようになった。私は決して英語が得意というわけではなかったが、美しいメロディーに日本語を載せるのは楽しかった。作曲はむしろ苦手で、中3のとき以来まったく作品がないのだが、訳詞というか作詞はスムーズにできた。

世間に発表しようとか、CDを出そうとか全く考えなかったため、他人が聞く機会はほとんどなかったが、原作者には最大の敬意を払い手書きの楽譜にもちゃんと作者名とコピーライト表記は入れていた。


「み前にひざまずき」からヒルソングへ

あるとき、教団で賛美CDを出す企画が持ち上がり、私が訳をつけた曲が採用されたと聞いた。Don Moenが歌っていた"I Bow My Knee"を『み前にひざまずき』と題して訳をつけたのだが、けっこうあちらこちらの教会で歌われたようだ。当然コピーライト表示は全曲についている。

やがて世はヒルソングブーム(?)となった。それまでにない力強さと深い信仰心にあふれる歌詞にたちまち魅了された。私は99年夏、日本最初のヒルソングツアー(と聞いたよ)に参加。当時はまだ「ヒルズ・コミュニティ・チャーチ」といって教会のホールでカンファレンスが開かれていたが、あふれんばかりの人と熱気あふれる賛美に圧倒された。

その夜、ホテルへ帰るとさっそく買い込んできた楽譜を開いた。カセットしか持ち合わせていなかったので昼間に聞いたメロディーを思い出しながら歌詞を見ていると、口からは日本語がこぼれてきた。日本から五線紙は持参していたので、書きとめてみた。5分もかからず一曲完成してしまった。

他にも何曲か歌詞がついたので、せっかくだから手書きでゴメンけど、とツアーのメンバーにコピーを渡した。それがどこかをめぐっていったのか、今度はミクタムから連絡があった。そのうちの一曲を新アルバムに入れたいのだが、と。

残念ながら一部歌詞表現を変えるということだったが、これは深く考えずにただ書き留めただけだったので仕方ないかと思った。何よりこの曲が日本の教会で歌われることがうれしかった。こうして"What The Lord Has Done In Me"は『よみがえりの主』としてミクタムの賛美CD新シリーズに収められた。

実はヒルソングの翻訳はほかにもたくさんあり、ヒルソング以外もたくさんある。やりかけたままで終わったものもある。ヒルソング関係は周囲にすすめられてヒルソングの出版部に公認日本語訳としての登録申請を出してみた。別にCD化するとか関係なく、ちゃんと許可を取りたいということだった。返事が来なかったので結局どうなったのか分からない。(その辺がオージーらしいというか...)


二度目のカンファレンス参加

二度目は2001年だった。そのとき日本語歌詞があるというので注文してみたら、自分の名前が書いてあったのでとりあえず申請は受理されたみたいだ。しかし歌詞は別のものだった...(やれやれ)

その前後で聞いたのだがどうやら公認日本語歌詞は同じ教団の東京シティチャーチのみが出す、ということになったらしい。要するに勝手訳が横行して困るということらしいと聞いた。がんばってCDを出し続けているけど、もっと他の曲でいいのがあるのになあ、あの曲は入れないの?と思うと残念。

個人的には"Simply Worship"シリーズとか、初期の頃のRussell Fragar大先生(向こうで本人に会ったのだ)のお書きになった(笑)曲が好きだ。最近のユース上がりのメンバーが書いた曲ってループくさいというか単調で...年齢的にも無理があるし(涙)


守るべきものは何?

長くなったが、私が言いたいのは翻訳だって歌詞を天から賜ることがあるわけですよ。っていうかインスピレーション?それが訳者が違えば何パターンもあるのは別にいいんじゃないの、と。賛美とは出版してナンボではなくて、捧げてナンボだと思うわけです。それを止める権利はないと思う。ただし最初に曲を作った人の権利は最大限に守られなければならないから、その人の名前を残すことは必要最低限のルールではないかと。

その上でその人が「これはイヤだ」というならボツにするのはやむなしだと思う。中には翻訳から離れて勝手に歌詞を付け足すわメロディーまで変えるわ、ぜんぜん別の曲になってしまっているケースもある。アレンジではなくもはや単なるパクリ。それで原曲より良くなっているならまあ許すけど...

私が歌詞の翻訳でなるべく気をつけていること。「日本語として美しいか」ということ。最近のSMAP?の曲で「ありがとう~ありがとう~」という歌詞があるが、イントネーションが変だろ!それ。アクセントがずれているのも気にかかる。音楽の場合、強拍と弱拍があり、アクセントが弱拍にきた日にゃ意味が変わる場合だってある。

時代とともに日本語も変になっているから、気にしない人がいたって不思議ではないんだけど...なんかボヤキが多くなってきたのでおしまい。


次回はこの辺について書こうか。

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